一般道各駅停車の旅

1999年に開設したキャンピングカーの旅のHP「一般道各駅停車の旅」。その作者のブログです。キャンピングカー、旅の情報を中心に、不良サラリーマンの日常を面白おかしくお伝え出来たら幸いです。

前橋の暴力BAR

ふとしたことで思い出した前橋の暴力BAR。

あ、いや、ホンモノの暴力BARじゃなくて、

連れていかれると24時を過ぎるまで帰れなくなるので、

仲間内でそう呼んでいた。

今となっては懐かしい思い出。

 

30年程前、僕は群馬県前橋市に住んでた。

30歳前後の若造の頃だ。

当時の会社の上司が結構なモンスターで、

一度飲みに連れて行かれると、

つまらない自慢話で24時過ぎまで帰してくれない。

酷い時は26時位までの苦行だ。

今でいうアルハラである。

 

その上司の幼馴染のママが経営するのが通称「暴力BAR」。

ママは音楽学校でのピアノの先生が本業で、

夜はグランドピアノの生伴奏で歌わせてくれるBARを経営してた。

当時のボクからするとオバちゃんなんだけど、多分50歳前後だろうか。

広くはないフロアにグランドピアノが鎮座してた。

 

僕が深く関わることになったのは、

モンスター上司に最初に連れていかれた時がきっかけだ。

モンスター上司の話があまりに苦痛で泣きそうになっていたので、

一曲歌うことを求められた際に半ばヤケになって、

上司の趣向に合わせることなくX-JAPANのEndless Rainをシャウトしてやった。

 

歌は好きだったし、自信があった。

特に系統だててレッスンを受けていた訳ではないので

「上手い」とは決して言わない。

でも、幼少期のピアノのレッスンからくる音程の正確さ、

そして生まれつき高音と声量を持ち合わせていたので

「素質があった」のかもしれない。

 

過去にも大人に驚かれた事は何度となくあった。

忘れもしない小学校の音楽の時間にアカペラで「スキー」を歌ったら、

先生が「なんだこの音程の正確さは!」と慌ててビックリし、

ピアノで伴奏するからもう一度歌ってみろと言われた。

カラオケBOXなんかが無い時代に、皆が他人の前で歌うことを恥ずかしがる中、

僕は自宅でしている通り、カラオケスナックで振りつけ付きで熱唱していた。

「凄く上手いんだけど、先輩、出し惜しみしないんだもの!」と会社の後輩に言われ、

「こっちは褒められようと歌ってるんじゃなくて、大好きだから歌ってるだけだ!」

と反論した覚えがある。

閑話休題

前橋の暴力BARで私が初めて歌った時のピアノの先生のママの驚いた目は

今でも鮮明に覚えている。

「どこで習ったのか?」

「楽器は何を弾けるのか?」

「どのキーまで高音が出るのか?」

色々と尋問された上、なんだか気に入られてしまったようで

その後業務命令的に強制的に連行される日々が続くことになった。

エルトンジョンとかビートルズとか

私が聴かない方面の音楽を覚えさせられ歌わされた。

しかし、私も結構、楽しんでいた。

相変わらず1次会の居酒屋でのモンスター上司の自慢話には閉口したが、

暴力BARでは好き勝手シャウトさせてもらった。

なによりプロのピアノの先生の生演奏でアドリブを交えて歌を歌えるのだ。

そのうち、暴力BARでライブをしようという話になる。

私に意見する権限はなく、ママの一存で私がリードヴォーカルとギターを担当し、

お客様からチャージを頂戴して2夜連続のライブをすることになった。

この頃の私はギターと言えば、結婚式の余興用に所有していたZO-3という

おもちゃに毛が生えたようなエレキギターしか持ち合わせていなかった。

ママさんは音楽仲間からキチンとしたエレキギターを借りるからと

しきりに私に勧めたが、そんな高級な他人のギターを弾くのは憚れた。

 

ライブの1ヵ月前ほどから、メンバーで音合わせを始めた。

リーダーでピアノはママ。

エレクトーンはママの知り合いの音楽学校のこれまた先生。

ベースはアマチュアながら現役でライブハウスで活動をしている40歳位のお兄さん。

ドラムは2日間で違う人だったけど、

一人はロックドラマーを志す若者。

もう一人はアマチュアのJAZZバンドで活動中の50歳位のお兄さん。

全員が完全にプロフェッショナル品質の上級者である。

そこにおもちゃのギターを持ったギター&ボーカルのド素人の私がひとり・・・。

今思えば、相当場違いだったかもしれないが、

当時の私はこんな品質の高いバックバンドの前で歌を唄い、

リードギターを奏でることが本当に気持ちが良かった。

ライブ当日には会社の仲間達もたくさん来てくれた。

モンスター上司もこの日だけは自慢話は無しだ。

ヘンデルの「ラルゴ」をオープニングにライブは始まった。

その後、T-SQUAREの「TRUTH」シャカタクの「ナイトバーズ」

シカゴの「素直になれなくて」エルトンジョン「Your Song」と続く。

途中、ママのソロのG線上のアリアとかもあったかもしれないと記憶する。

 

その後はプレーヤーもお客さんも酔っ払いになって

好き勝手にセッションしたのを覚えている。

全員で奏でたDoobie Brothersの「Long Train Runnin'」のビートは

30年近く経過した今でも忘れない。

 

群馬県前橋市に確かに存在した通称「暴力BAR」。

間違いなくボクはここで2夜、輝いた。

30歳前後に群馬で生活していた中の懐かしい記憶である。

 

 

Takuma@一般道各駅停車の旅

takuma1966.hatenablog.com