一般道各駅停車の旅

1999年に開設したキャンピングカーの旅のHP「一般道各駅停車の旅」。その作者のブログです。キャンピングカー、旅の情報を中心に、不良サラリーマンの日常を面白おかしくお伝え出来たら幸いです。

長さじゃないという価値観

最近、施設から父が転倒したという電話の頻度が増えてきていた。

幸い何針か縫う位で済んでいたので致命的なダメージはなかった。

でも、昨日の転倒で大腿骨骨折という致命的なダメージを負ってしまった。

90年以上の二足歩行の人生にピリオドが打たれる事になる。

 

最近は私の事を「あなた」と言い、名前で呼ばなくなったことを私は気がついている。

ついに私の名前も出てこなくなったのだ。

こんな認知症の進み具合では

手術をしても術後のリハビリで意思の疎通が図れないので、

医者からは手術は現実的ではないと言われた。

ここから先は車椅子での人生となるが、

この環境の大変化に93才の重度の認知症老人が果たして適応出来るのだろうか?

会社では、本日から何か起きると私しか対応法を知らない業務が始まるが、

急遽休みを頂いて父の元へ行く。

こういう事があっても仕方ないと断った上で、

会社からのありがたい慰留を受け入れさせてもらったから、

ここは申し訳ないと思いながらも、甘えさせて頂く。

 

父が救急搬送された病院に私が行ったとて、何も変わらない。

そんな事は分かっている。

ただ、絶対に残りが少ない両親との時間を大切にしたいだけなのだ。

私が行こうが行くまいが、父の記憶はせいぜい持っても10分。

全て忘却の彼方へ消えていくが、

それでも後になってやり残した感を感じて後悔したくないのだ。

 

思えば介護というものに直面して4年近くになるが、

この4年で色々と考え方も変わった。

ただ延命だけを目指す医療研究や制度にも疑問を感じるようになった。

70才を越えてポックリなくなる方を弔事ではなく慶事にも感じてしまう。

酒もタバコもやらなかったが為に、脳の寿命が訪れたのに体は健康な父が

果たして本当に幸せなのか分からなくなってきた。

自分も健康に気を使って、

間違って脳の寿命まで生きてしまったらどうしようかと恐ろしくなる。

何度も聞いてきた母の「殺して欲しい」とか「早く死にたい」という言葉が

今となっては、あながち理解出来なくもなくなってきた。

生きたくても生きられない人がいる中で、とても不謹慎な考えだとも思う。

でも、やはり長生きだけが人間の幸せではないような気はする。

 

私の両親もリタイヤ後は本当に幸せそうだった。

身を粉にして会社に捧げてきた事のご褒美のように豪遊しまくった。

この両親を見ていて、老後にこんな幸せなご褒美が待っているのなら

会社員も悪くないなとも思った。

しかし、人生の最後の最後にこんなに苦しい事があるなんて、無情なものだ。

これが健康で長寿な人だけに降りかかる不幸だと言うことも皮肉なものだ。

 

また、こんな齢になってからこんな莫大な金がかかる事も知った。

貯蓄がない人はどうなってしまうのだろうか?

餓死するのか?

それとも誰にも看取られずに布団のシミになるのか?

こんな事を考えていると、子供のいない自分の行く末が恐ろしくなるし、

安楽死という選択肢も真面目に議論しなければならないのではないかと思う。

 

両親の介護をするようになってから、「死」というものを考える事が増えた。

「どう死ぬか」を考えて生きるようになった。

 

 

Takuma@一般道各駅停車の旅

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