一般道各駅停車の旅

1999年に開設したキャンピングカーの旅のHP「一般道各駅停車の旅」。その作者のブログです。キャンピングカー、旅の情報を中心に、不良サラリーマンの日常を面白おかしくお伝え出来たら幸いです。

とうちゃんの認知が戻ってきた

本日、木曜日は父の施設と母の施設を訪問する日。

最近、私の伝家の宝刀である「笑顔」と「スキンシップ」が

通じなくなってきてしまった父。

認知症と老年性の難聴と車いす生活で、話しかけても反応なし。

多分、目の前にいる私を息子だという認知もちょっと厳しいんでしょう。

食べる量も減ってきちゃっているので、そろそろ「覚悟」もしていたんです。

 

本日はランチ時に訪問して食事の介助です。

食べ物を口に持っていくと食べてくれるので、

たくさん食べてもらおうと我々3兄弟が代わる代わるランチ時にお邪魔してます。

ケアスタッフさんも頑張って食事介助をしてくれるのですが、

やはり全員の入居者に付きっきりって訳にはいきませんので、

ここは家族の出番なのでしょう。

本人が一度拒んでも、そこは認知症の患者、

1分前のことも覚えてませんから

「さあ、食べよう!」って言ってもう一度口に運ぶと

同じ物でも食べてくれるんです。笑

とにかく食べるというのは健康の第一歩ですから食べて頂かなければ・・・。

 

そんな食事介助の間にも、たまにこっちの顔をそおっと伺うんですよ。

「いったい、こいつは誰だ?」って感じなんでしょう。笑

それでも、認知症だろうが難聴だろうが、

コミュニケーションの手段は、なにも言語だけではありません。

私の顔だったり、身体動作だったり、話の「間」だったり、雰囲気だったり、

非言語のコミュニケーションを感じてもらいたくて、こっちは勝手に話し続けます。

かあちゃん」「元気」「フルート」「モルダウ」「青戸」「四ツ木」「大垣」等、

脳が活性化されそうなワードをたくさん入れて大きな声で笑顔で話します。

 

こぼした食事を私が紙ナプキンで拭いた時に「その時」が訪れました。

「そんな風にしなければならないのですか?」

父が久しぶりに口を開いてくれたのです。

少し驚いた私でしたが、その後も話しかけ続けました。

すると、途中からあいずちを打つようになりました。

そして私の「かあちゃんも元気だよ」の一言に

「会いたいねえ」の返事が・・・。

久しぶりに父との会話が復活した瞬間です。

続けざまに「いつ会える?」「来週?」「何日後?」「お願いします」

嬉しい父の言葉が蘇ってきました。

認知症といっても言葉や記憶が無くなってしまった訳ではありません。

脳の奥に隠れてしまって、それを繋ぐ線が弱っただけなのです。

おそらくは、なじみの声、笑顔、雰囲気、ワードで、

その弱った線が活性化されて神経伝達物質が通過したのでしょう。

 

嬉しかったですねえ。

100歳まで生きるんだと言ってた父。

終わりをこっちが勝手に決めてはいけませんでしたね。

まだまだ、たくさん食べて頂いて、たくさん脳に刺激を受けて頂いて、

一生懸命支援してまいりましょう。

この後、施設内を車いすで散歩(散車?)して頂いて、

いつもと違う景色も楽しんでもらって、施設を後にしました。

 

そして母親の施設に行ってこの事を報告すると、

脳はしっかりとしている母はとっても喜んでくれました。

数年前から仕事よりも両親との時間を優先させた人生を選びましたが

本当にその選択が誤りでなかったと自信を持って思えました。

 

 

Takuma@一般道各駅停車の旅

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